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「見られている」という意識

「見られている」という意識をもつと

恥ずかしく思われたくない、という意識も芽生えるので

自然と成長していく

 

そしてどんどんキレイになっていくこともw

 

歯と一緒です。

 

「相手をみる」ことは意識しやすいけど

自分が「見られている」意識がない人が多くて驚く。

 

 

「見られている」という意識を持っていないと

自分の値打ちを下げる

自分の市場価値も下げる

 

そもそも、人を思いやる気持ち・人に対するリスペクトが

根っこにあれば

人をわざわざ不快にさせないように

配慮した言動を意識するのだろうけど

 

自分の「不満」・自分の感じる「理不尽」を顔全面に出すことで

「私は怒ってますよ」

「私は機嫌悪いですよ」

「あなたが嫌いですよ」

をアピールする。

 

そういう人って

怒っているのは誰かのせい

環境のせい

 

他責・依存だから

自分に問題があることに気づけないまま

 

 

不機嫌なのも誰かのせいですか・・

 

人のせい・環境のせいにすることが

恥ずかしい・みっともない

それにすら気付いていない

 

 

なら

これを動画に撮ってみたらどうでしょう?

 

キレイですか?

カッコいいですか?

理想の自分ですか?

 

 

人に見られている

人に試されている

すべて動画に撮られている

 

かもな。

 

という適度な緊張感は必要で

その意識があることで

 

悪い習慣が修正されていったり、

言葉遣いや行動がよりキレイに進化していく。

 

見られている意識が

自分をいい方向に変えていくんですよね。

 

 

 

私も若い頃は許容できた。

 

怒る人はきっと漠然とした不安があるんだろうな。

余裕がないんだろうな

焦りがあるんだろうな

何か力になれるかな。

私ができることは何かな

自分の問題点は何だったのかな、

自分はどう改善していこうかな、

とかね。

 

人間には自分も含めて普通に存在する感情として

受け止めて。

 

これはこれで学びがあったのだけど

 

 

緊急事態期間中に誕生日を迎え、もう50歳目前になった今

残された人生の時間を考えると

わざわざ不快になるための時間を使いたくない。

生産性に関わる問題だから。

 

やらないことを決めることが

どれだけ大事なことかと思うようになった。

 

少なくとも怒るエネルギーはない

 

怒るのってエネルギー使う行為ですよね

怒りにはとてつもない破壊力があります。

 

 

私は私が使うべき時間と

エネルギーに限りがあり、

 

それを使うべきところに使いたい。

 

私の理想は

人との関わりは根底に敬意のやりとり

 

だから、そうなれるよう行動する

 

 

結局、自分をコントロールできるのは

自分でしかない。

 

今日も見られている。

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